公開することの意味
タイトルは結城浩のはてな日記より拝借。
いずれも大事なポイントですが、この中で最も意識すると良いのは「公開する」というポイントではないかと感じました。
これは本当に実感している。 この日記を書いていなければ、今ほど Ruby や Ajax で遊ぶことはなかっただろうし、色んな人に会うこともなかっただろう。
日記を公開するメリットは結城さんのリンクにもいくつか書かれているけど、個人的な実感を書いてみる。
自分を知ることができる
分かったつもりになっていても、いざ文章にしようとすると全然書けない時がある。 こういうときは、実はちゃんと分かっていないということが多い。 自分が「知らない」ということを知るのは、大切だけど実は難しい。
「IT戦記 - 社内の勉強会をやって、一番うれしいこと」にこう書かれている。
分からないなら質問して!
勉強会は、みんなの「分からない」を共有する場でもあるんだ。
「分からないことを質問」するためには、まず自分が何を分かってないかを理解しなきゃいけない。 勉強会というリアルタイムの場で、それを把握することは難しい場合もある。
そういう時に、Rails 勉強会 - capistranoのように、勉強会でやったことを日記に書くことで、自分が分かったことと分からなかったことが整理できるようになったりする。 勉強会で話されたことの何分の1の内容しか書けなくても、絶対に意味があると思う。
アウトプットした分だけインプットが入ってくる
これには2つの意味がある。
- 日記を書くために分からないことを調べなおす。
- 日記を書くことで、書いたことを安心して忘れることができる。
んで、アウトプットの量とインプットの量は、実は同じなんじゃないかと思ってる。 もちろん、入力値の量としてのインプットは圧倒的に多いんだけど、自分が消化できた分だけをみると、アウトプットと同じかなぁと。