喉元すぎれば
辺境から戯れ言にこんな記事がありました。
民間人捕虜解放に対する安堵と批判が目くらましになっている
確かにこれは感じます。 でも一方で、「僕は発展途上技術者」 に書かれているように、日々の生活があるなかで どこまで正確に情報を分析して議論ができるのか、 という不安もあります。
今回の事件がワイドショー的な扱いであったとしても、 これをきっかけにイラク問題について関心を持つ人が増えたことは 一歩前進ではないでしょうか。
僕としては、メディアの情報が断片的すぎることに不満を感じつつ、 圏外からのひとことでのessaさんと荒川さんのやりとりは とても興味深く拝見させてもらいました。
今回の事件に限定して考えると、
- 素人が勝手に危険な所に行って迷惑をかけている(自己責任論)
- 危険を顧みずにイラクに貢献している人を批判すべきではない
という相反する2つの意見があって、荒川さんは前者、essaさんは後者の危険性を指摘していると思いました。
前者の自己責任論については確かにそういう一面もあると思います。 しかし、本質的な問題は別にあるわけで、「余計な波風を立ててくれるな」という「臭いものに蓋を」的な発想ではないでしょうか。
後者については、kom's logの「社会的謝意から社会的要請へ」が考えさせられたのですが、まだ自分の中での結論はでていません。
なんだか考えがループしてきたので、今はここまでにしておきます。
追記
自己責任論を訴えているメディアが、現地に赴いているジャーナリストをニュースソースとしているのには矛盾を感じます。 現地の情報についてインタビューしながら、当の相手には「自己責任で行っているんですよね?」と聞くのはダブルスタンダードじゃないでしょうか。 「メディアにとっては自殺に等しいと思う(セキュリティホール memo)」という考えに同感です。
反面、「自分の属する社会に覚悟を共有してもらうこと(ただのにっき)」という考え方にもとても共感できます。 そこが欠けていたため、責められているところはあるのでしょう。